2018/02/01
人をあてにする
昨年も多かったですが、今年も沢山の掃除屋さんから技術的な質問を沢山受けています。
質問されると僕自身沢山考えるからいい機会だなーと思って答えています。もちろん全部は答えませんけど、ヒントとか触り位はね。
僕はひとをあてにするのは悪くないと思います。僕も質問するし。先日も消臭の神様みたいな人に色々と質問しましたし(笑)
一人で全て考えて答えを出すのは難しい。武田鉄也じゃないですけど「人と言う字は~~~」って事ですよね(笑)
人をあてにするとは違うかもしれませんが聖書の中にこんな言葉があります。
あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
コリント人への手紙 第一 10章13節
どんな解決策かは分かりませんけど、きっと道はあるって言う事かな?と勝手に解釈しています。人に聞くのも解決だし、愚痴を聞いて貰うのも解決だろうし、歌を聞きながらドライブも解決化もしれないし、いろいろありますよ。きっと。
僕が通っていた大学はキリスト教系の大学でしたから(入学してから知ったくらいですから、本当に興味なんて無かったんです)、興味は無くても聖書の講義は必修でした。こんなに思い出すならもっと真面目に聞いておけば良かったよ、と今更後悔ですね。
話は戻って、質問に答えると、解決したよ!!って施工写真を送ってくれる人もいますが、それはとっても嬉しいです。
「よかった~なんか俺が嘘を教えたみたいになったら申し訳ないよな~」って気持ちは、ほんの少しだけ感じますからね(笑)
聞く人も答える人も色々いますけどみんなそれぞれの為になっているんだろうな~って思います。
答えられるからすごいわけでも無いし、聞くから劣っているわけでも無いんだろうと思います。
ちょっと長いし覚えて無いからインターネットのコピペで読みにくいですけど、同じくコリント人への手紙の12章にいい言葉があります。
12:12からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 12:13なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。 12:14実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 12:15もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 12:16また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 12:17もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 12:18そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。12:19もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。 12:20ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。 12:21目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 12:22そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、 12:23からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 12:24麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。 12:25それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 12:26もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 12:27あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
コリント人への手紙 第一 12章12節から27節
なんか分かりにくいですね。まーみんなそれぞれ大事だよ。ってことですね(笑)技術的な優劣はあるかも知れないけど、それが人間の優劣にはならないと思うんです。
最近「俺の方がすごいし偉い!!」みたいな人がいてなんだかな~って思ったので、これを思い出したんです。
最後に書きますけど僕は宗教家でもないし、実家は当麻町の円明寺の檀家だし、僕の家には仏壇も神棚もないし、クリスチャンでもありません。
仏教でもキリスト教でも関係なく、いいなーと思って覚えている事を書いているだけなんです。誤解しないで下さいね(笑)
宗教の勧誘とか来ないでね。。。。。
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